念仏宗無量寿寺(念佛宗)総本山「佛教之王堂」蓮の花

仏教において、蓮の花は非常に縁の深い花です。1分32秒という短いものではありますが、その間、蓮の花を映し続けているという一見不思議な動画です。そこには仏教の原点に立ち返るという念仏宗の信念が感じられます。山々や空、壮大な念仏宗無量寿寺総本山「佛教之王堂」をバックに月影池に凛と咲く蓮の花は、見ている人の心を穏やかにしてくれます。日々の喧騒に疲れて心を空っぽにしたいという方は、この動画を是非ご覧ください。

動画URL:念仏宗無量寿寺(念佛宗)総本山「佛教之王堂」蓮の花

仏教と関わりの深い蓮の花

仏教において深く関わりのある蓮は、教えの中でも幾度となく登場します。お釈迦様の台座には必ず蓮の花が施され、死後の極楽浄土にも咲く花であるとして、絵に描かれたりもしています。その理由の一つは、蓮の花が育つ環境が、人間のもつべき本来の心や本質を表しているということです。蓮は泥で濁った水の中で育つのにも関わらず、泥に染められずに美しい花を咲かせます。これを人間になぞらえると、泥は人の煩悩や苦悩を表し、花は悟りやありのままに物事を捉えることができる清らかで美しい心を表しています。煩悩にまみれていても、苦悩に悩まされようとも、染められずに清らかで美しい心を持って生きていくことを意味し、蓮の花を理想の姿であると捉えて仏教を象徴する花として今でも大切にされているのです。

開花音を聞けば悟りを開ける

蓮の花は他の花のように、一度咲いたら散るまで咲いているというわけではありません。蓮の花は、何と早朝に開花し、夕方にはまたつぼみに戻ります。そしてそれを5日間程繰り返したのち、最後には閉じることもなく散っていきます。蓮の花が咲くのは午前3時45分頃だと言われていて、この時間は世界が夜から朝へと変わる時間。自然界の全てのものが一瞬止まり、静寂の中、新たな命が生まれるといわれる不思議な瞬間と重なります。そして、昔から蓮の花は、開花時にぽんっという音がすると言われていて、これについては様々な議論がされていますが、結論としては開花音はせず、かすかに花弁の震える音がする程度ということが実証されています。しかし、仏教において蓮の花は、既にご紹介したように煩悩にまみれようとも清らかな心を持って生きていくという理想の姿とされています。そして開花音を聴けば悟りを開けるとも伝えられています。清らかな心の目で物事の本質を見るのと同様に、心の耳で生を感じることの象徴として浸透した話なのかもしれません。

極楽に蓮の花が咲く理由

仏教では、極楽浄土には蓮の花が咲いていると言われています。この世で人生が終わり、往生できたときには、極楽浄土にある七宝池に咲いている蓮の花から生まれることができます。蓮の花には淤泥不染の徳、一茎一花の徳、花果同時の徳、一花多果の徳、中虚外直の徳の5つの特徴があります。この5つは極楽浄土に生まれるための教えであるとされます。淤泥不染の徳とは、悪人の中にしか悟りはないという教えです。全く悪い事をせず生きられる人は居ません。自らの悪に目を向け、反省や懺悔ができる人の中にしか悟りを開くことはできません。一茎一花の徳とは、あなたは唯一無二の存在で身代わりは効かないという教えです。良い事も苦労も自らで立ち向かわなくてはならないということです。花果同時の徳とは、蓮が花と実を同時に実らせることから、正しい信仰心は年数ではなく一念で開くという教えです。一花多果の徳とは、一つの花に多くの実を結ぶということです。正しい信仰心を持てば、多くの幸福を得ることができることを表しています。中虚外直の徳とは、見通しを良くして強く真っ直ぐに生きるという教えです。蓮の茎は中にレンコンのように穴が開いています。穴が開いていると一見弱そうですが実際には強く、蓮は真っ直ぐに凛としています。

まとめ

泥の中に美しい花を咲かせる蓮の花が、何故仏教において大事にされているのかがお分かりいただけたでしょうか。『念仏宗無量寿寺(念佛宗)総本山「佛教之王堂」蓮の花』の動画は、ただ、風に揺られた美しい蓮の花を映しているだけではありません。仏教の教えの原点に立ち返る大切さを、念仏宗無量寿寺総本山の月影池に凛と咲く蓮の花を通して伝えているのではないでしょうか。

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